かばんの館

豊岡のかばん

豊岡かばんの歴史

江戸時代

江戸時代 鎧櫃 保管のため武士が大切な鎧を入れた柳行李。非常に軽く、丈夫です。 柳行李 "通気性が良くて着物にムシが付きにくい"、"軽くて入れ子にして運びやすい"ことから全国津々浦々に販路を広げました。

明治時代

明治時代 行李鞄 「3本ベルト締め行李鞄」と呼ばれ、第2回内国勧業博覧会に創作出品されたものと同型のもの。これが"豊岡かばん"の源流ともいえます。

昭和時代

昭和時代 ファイバー鞄 昭和6年頃 パルプなどを硬化したファイバー素材は、当時の新素材でした。軽くて、丈夫。映画の寅さんも愛用?の営業かばんの代名詞です。 オープンケース 昭和30年頃 三方がファスナーで開閉できる機能性と、周囲をピアノ線で補強した強靭さで大ヒット。アメリカをはじめ、海外にも輸出されました。 マディソンバッグ 昭和43年頃 "MADISON SQUARE GARDEN"の白い文字を紺色のナイロン製スポーツバッグにプリント。学生を中心に全国で大ブームを巻き起こしました。

豊岡かばんの沿革

兵庫県北部の日本海側に位置する豊岡は、奈良時代に作られ、江戸時代にかけて発展していた杞栁産業を基盤に大正末期から昭和にかけてはファイバー鞄が製造され始め、栁行李の販売網にのって急速に伸び、昭和10年頃には鞄産業は豊岡の主産業となりました。
原材料不足で大戦中は停滞したものの、戦後産地の再興は早く、ますます発展を遂げました。昭和25年に牛皮使用制限が解除されると素材やデザイン面でも大きな変化が生じました。塩化ビニール、ナイロンなどの素材を経て、天然皮革の持つ風合いを備えた合成皮革が開発され、一時は合成皮革を素材とした全盛の時期を築きました。
さらにこの合成皮革を高級化し天然皮革に近似させた人工皮革が登場し、丈夫で軽く雨に濡れても大丈夫という持質を持ちながら、高級感ある鞄へと変化をしてきました。

ミシン縫製の導入、合成皮革・ナイロン・人工皮革の活用など様々な改革を経て、今日ではこれらを素材とする鞄類の生産では全国的にも大きなシェアを誇っています。
また、鞄は衣服の流行やスポーツファッションなどの影響も大きく、これからの豊岡のかばんの基本的な視点の中にトータルファッションの一躍を担う産業として、消費者ニーズの多様化によりデザインを重視した商品の開発や新しい素材の研究を重要な課題として、日本を代表する鞄の産地として産業の発展のため努力しています。